微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

「至善」とはベスト尽くすこと

至善とは最善のこと。
 
どんなときも最善(ベスト)を尽くすところにある。
 
 
大学の道は、明徳を明らかにするに在り。民に親しむに在り。至善に止まるに在り。(大学・仮名大学1頁)
大学の道(君子となるための学問の道)は、①明徳を明らかにするところにあり、②民に親しむところにあり、③至善(最善)に止まるところにある。
 
 
君子は、其(そ)(くらい)に素(そ)して行い、其の外(ほか)を願わず。富貴(ふうき)に素しては富貴に行い、貧賤(ひんせん)に素しては貧賤に行い、夷狄(いてき)に素しては夷狄に行い、患難(かんなん)に素しては患難に行う。君子入(い)るとして自得(じとく)せざる無きなり。(中庸第十四章・仮名中庸21頁)
君子は、自分の地位や立場に基づいて(誠心誠意最善を)行うことだけを考え、その他余計なこと(不平不満など)を考えない。裕福だったり高い地位にあれば、それに相応しい最善の行動をとり、貧乏だったり低い地位にあれば、またそれに相応しい最善の行動をとり、未開の地へ行ったときは、その土地に相応しい最善の行動をとり、患難に遭えばそれに対応した最善の行動をとる。要するに君子は、どこへ行っても自分の為せる最善を誠心誠意行うことができるのである。
 
 
とはいえ、
いきなり最善(ベスト)を尽くすのは難しい。