(過去の記事:皇位継承問題、日経へ反論)。
『誕生して間もない明治国家は、西洋から軍事・経済的脅威だけではなく、思想的挑戦を受けていた。個人主義とキリスト教の浸透である。これらは天皇を機軸とする国家体制を揺るがす恐れがあった。対抗するため創られたのが天皇を「家長」、国民を「赤子(せきし)」とみたてる家族国家観と忠孝の国民道徳だった。』
『そこで登場したのが90(同23)年10月30日に発布された「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)だった。』
『家長に服従する制度は、拡大すれば国民全体が天皇に服従することにつながる。』
『家族国家観は、その後の戦時の軍国・超国家主義と融合し、神がかり的なものになっていく。』
『そこで登場したのが90(同23)年10月30日に発布された「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)だった。』
『家長に服従する制度は、拡大すれば国民全体が天皇に服従することにつながる。』
『家族国家観は、その後の戦時の軍国・超国家主義と融合し、神がかり的なものになっていく。』
次に、
「忠孝」は「服従」という意味ではない。
「忠孝」は「服従」という意味ではない。