微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

君子と小人、人格と能力

前回からの続き)
実際孔子先生は、
「君子」と「器」を使って
次のように弟子を評価した。
 
子、子賤(しせん)を言う、君子なるかな、若(かくのごと)き人。魯(ろ)に君子者無くんば、斯(こ)れ焉(いず)くにか斯(これ)を取らん。
子貢問うて曰わく、賜
(し)や如何(いかん)。子曰わく、女(なんじ)は器(き)なり。曰(い)わく、何の器ぞや。曰(のたま)わく、瑚璉(これん)なり。(公冶長第五・仮名論語49頁)
孔子先生が弟子の子賤を評して言われました。
「君子だなぁ、こういう人物は。魯国に君子がいないとしたら、どうしてこのような立派な人物になれただろうか?」
弟子の子貢が先生に尋ねました。
「私などはどうでしょうか?」
先生が言われました。
「お前は器だよ」
子貢はさらに尋ねました。
「どういう器でしょうか?」
先生が答えられました。
「大切な祭りに用いる最上級の器だよ」
 

子貢は最優秀の弟子。
孔子よりも優れていると思われるほどだった
(子張第十九・仮名論語302頁参照)。

孔子学校を経営面で支えていたのも
子貢だったと思われる
(先進第十一・仮名論語150頁参照)。
 
孔子は子貢のことを瑚璉という最上級の器と評価した。
最上級の能力者として認めたが、
君子とは認めなかった、ということになる。
 

このように考えると、
君子とは、能力よりも人格が上回る人物と分かる。
逆に小人とは、能力よりも人格が下回る人物と分かる。