微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

孔子のおもてなし

前回からの続き)
 
 
孔子の「おもてなし」と言えるのではないだろうか?
当時、楽師は盲人であったという(金谷治訳注論語)。
 
おもてなしの心、学びたいと思う。
 
 
師冕(べん)(まみ)ゆ。階に及べり。子曰わく、階なり。席に及べり。子曰わく、席なり。皆坐(ざ)す。子之に告げて曰わく、某(ぼう)は斯(ここ)に在り、某は斯に在り。師冕出ず。子張問うて曰わく、師と言うの道か。子曰わく、然り。固(もと)より師を相(たす)くる道なり。(衛霊公第十五・仮名論語244頁)
楽師の冕先生という目の不自由な方が孔子先生を訪ねてきました。
孔子先生は、階段に差し掛かると、「階段があります」と案内されました。
冕先生の座席まで来ると、「先生の席です」と案内されました。
皆が席に着くと、「誰々はここにいます。誰々はここにいます」と丁寧に言われました。
そうして冕先生が帰られました。
孔子先生の側にいた弟子の子張が
「目の不自由な先生には、あそこまでするものでしょうか」と孔子先生に尋ねました。
孔子先生は答えられました。
「もちろんそうだ、目の不自由な先生にはあそこまでして差し上げるものだ」