微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

キング牧師と孔子

50年前の今日、
マーティン・ルーサー・キング牧師が次のように演説した。
 
 
『私には夢がある。
私の4人の小さな子どもたちが、いつの日か、
肌の色でなく人格の中身によって判断される国に住むことだ』
 
 
やはり、
人の評価というものは、
肌色はもちろん
出身地や性別、肩書、学歴、功績、年齢、
などによってなされるべきではないのである。
 
 
互郷(ごきょう)、与(とも)に言い難(がた)し。童子(どうし)(まみ)ゆ。門人惑う。子曰わく、其(そ)の進むに与(くみ)するなり。其の退(しりぞ)くには与(くみ)せざるなり。唯(ただ)何ぞ甚(はなは)だしきや。人、己を潔くして以(もっ)て進まば、其の潔きに与(くみ)せん。其の往(おう)を保(ほ)せざるなり。(述而第七・仮名論語91頁)
互郷という村の人とは一緒に話すことさえ難しいのに、その村の子どもが先生と面会しました。弟子たちは戸惑いました。
孔子先生が言われました。
「私は進んで教えを受けようとする意欲に賛同したのだ。去って行く者には賛同しない。お前たちはどうしてそんなにひどく言うのかね。人がその心を清くしてやってくれば、その清さに賛同するのだ。ただ、その先のことは分からないよ」
 
 
では、
人の評価はどうあるべきなのだろうか?
孔子先生は次のように仰った。(つづく