微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

子どもへの愛情は「甘やかし」ではない

前回からの続き)
「子どもに愛情を注ぐこと」は、
「子どもを甘やかすこと」ではない。
「愛」について次のような章句があるからである。
 
 
子曰わく、之を愛しては能(よ)く労(ろう)すること勿(な)からんや。(後略)(憲問第十四・仮名論語204頁)
孔子先生が言われました。
「本当に人を愛するからには、その人を鍛えないでいることなどできるだろうか」
 

子どもを独り立ちさせることも親の役割なのであろう。
 
 
孔子曰わく、(中略)礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。(後略)(堯曰第二十・仮名論語313頁)
孔子先生が言われました。
「礼を知らなければ、世の中に立つことはできない」
 
 
孔子先生も自分の子どもの孔鯉(伯魚)に対し、
次のように独り立ちさせようとしていたのではないかと思われる。
 
 
陳亢、伯魚に問うて曰わく、子も亦(また)異聞有りや。対(こた)えて曰わく、未(いま)だし。嘗(かつ)て独り立てり。鯉走りて庭を過ぐ。曰わく、詩を学びたりや。対えて曰わく、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退きて詩を学べり。他日又独り立てり。鯉走りて庭を過ぐ。曰わく、礼を学びたりや。対えて曰わく、未だし。礼を学ばずんば、以て立つこと無し。鯉退きて礼を学べり。斯(こ)の二者を聞けり。陳亢退きて喜びて曰わく、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞くなり。(季氏第十六・仮名論語257頁)
弟子の陳亢が伯魚(孔子の長男で名は鯉)に尋ねました。
「あなたもまた、私たちとは別に何か違ったことを教えられたのではありませんか?」
伯魚が答えました。
「まだそんなことはありません。ただ、かつて父が庭に一人立っておりました。私が小走りで通り過ぎようとすると、父が私を呼び止めて『詩を学んだかね?』と尋ねてきました。私が『まだです』と答えましたところ、父は『詩を学ばなければ、立派に人と話ができないよ』と申しました。そこで私は早速他の先生の下で詩を学びました。
 またある日、父が一人庭に立っておりました。私が小走りで庭を通り過ぎようとすると、私を呼び止めて、『礼を学んだかね?』と尋ねてきました。私は『まだです』と答えました。父は、『礼を学ばなければ世に立っていけないよ』と申しました。そこで私は早速他の先生の下で礼を学びました。
 この二つのことを教えてもらったぐらいでしょうか。」
陳亢は、退出してから、他の人に喜んで言いました。
「今日は一つのことを尋ねて、三つのことを知ることができた。詩を学ぶことの大切さ、礼を学ぶことの大切さと、君子は自分の子を特別扱いをしないということを学ぶことができた。」