体罰を用いるような指導者が
本当に良い指導者だったとは思えない。
本当に良い指導者だったとは思えない。
詩に云(い)わく、予(われ)明徳を懐(おも)う、声と色を以(もっ)て大とせずと。子曰わく、声と色を以て民を化するに於(お)けるは末なりと。(中庸第三十三章・仮名中庸85頁)
詩経には、「私は天から与えられた徳を修めそれを発揮させることを思うのみで、声を大にしたり顔色を激しくしたりすることはない」という言葉がある。この言葉は、孔子先生が「声を大にしたり顔色を激しくして人々を感化するのは、本当の感化ではない」と仰ったことと同じ意味である。
詩経には、「私は天から与えられた徳を修めそれを発揮させることを思うのみで、声を大にしたり顔色を激しくしたりすることはない」という言葉がある。この言葉は、孔子先生が「声を大にしたり顔色を激しくして人々を感化するのは、本当の感化ではない」と仰ったことと同じ意味である。
子曰わく、故きを温(たず)ねて新しきを知る、以て師と為るべし。(為政第二・仮名論語16頁)
孔子先生は言われました。
「昔の物事を研究・吟味して、新しい時代に応用できる知識や見解を得る。そういうことができる人こそ、指導者となるにふさわしい。」
孔子先生は言われました。
「昔の物事を研究・吟味して、新しい時代に応用できる知識や見解を得る。そういうことができる人こそ、指導者となるにふさわしい。」