微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

そういうことだったのか!

論語の中で孔子先生は、詩が重要だよ、と言っています。
論語には、そんな章句がいくつか出てきます。
文学的センスがまるで無い私は、その意味が全く分かりませんでした。
しかし、下の新聞記事を読んで、衝撃を受けました。
孔子先生は、こういうことを伝えたいのかもしれません。
 
新聞記事は、一昨日の日経夕刊「人間発見」です。
インタビューを受けているのは、俳人黛まどかさんです。
前半部分抜粋します。
 
『10月末、岩手県岩泉町を訪れ、句会を開いた。4月の訪問以来、いくたびか被災地を訪れたが、岩泉は半年ぶりだった。
 再会でした。4月に「何もかもなくなっていまはむしろすがすがしい」と言っていたおばあちゃんが「いまだから言えるけれど、当初は本当に俳句でエールが送れるのか、半信半疑だった」というのです。でもチラシにあった拙句(満開の桜に明日を疑はず)を読んで「にわかに生きる勇気が湧きました」と言ってくれました。
 俳句は短いだけに直接響き、一瞬にして心の向きを変えられる。「がんばってね、つらいのはあなただけじゃない」と言葉を尽くしても、引きこもりや病気のひとの心の向きを変えるのは難しい。俳句は直接的なことは言わないけれど、それゆえに本人が自分の意思で心の向きを変えられる、と再確認しました。
 仮設住宅に住んでいるおばあちゃんたちに「今何が必要ですか」と聞いたんです。顔を見合わせて「何にもないわね」「満ち足りている」。「亡くなった方々には申し訳ないけれど、私たちは津波に教えられた。この年で大事なことを教えてもらってありがたい」とも。前を向いているんです。
 「身一つとなりて薫風ありしかな」を詠まれた方とお会いできたのも感動的でした。句の通りの方で、爽やかで力強く、俳句は人を表すと感じました。この句は被災者でないひとまでも励まし、生きる勇気を与えています。』

 
 
子曰わく、詩に興り、礼に立ち、楽に成る。(泰伯第八・仮名論語103頁)
孔子先生が言われました。
「人間は、詩によって奮い立ち、礼によって安定し、楽によって完成するのだよ。」
 
子曰わく、小子、何ぞ夫の詩を学ぶ莫(な)きや。詩は以て興すべく、以て観るべく、以て群すべく、以て怨むべし。近くしては父に事え、遠くしては君に事え、多く鳥獣草木の名を識る。
(陽貨第十七・仮名論語268頁)
孔子先生が言われました。
「お前たちは、どうしてあの詩を学ばないのかね。詩は、人の気を奮い立たせ、広く物を見、人と和やかに交わり、怨み言もうまく表現する仕方まで教えてくれる。また身近なことでは、父に事えることや、遠くしては君に事えることを知り、その上鳥獣や草木の名を多く知ることができる。」
 
私も、俳句や短歌を学んでみようかな。