微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

「美」「義」「善」には羊がいる

「美」は大きな羊と書く。
 
漢字が作られた大昔、
大きな羊は美しいものと考えられたからだろう。
 
 
「義」や「善」にも羊がある。
 
羊が美しいものである以上、
「義」は我を美しくするものとなり、
美しい言葉を選んで使うことは「善」ということになる。
 
 
子曰わく、仁に里るを美と為す。択びて仁に処らずんば、焉んぞ知なるを得ん。(里仁第四・仮名論語37頁)
孔子先生が言われました。
「心に仁をおくことが美しい。心に選んで仁をおかなれば、どうして知者と言えようか?」
 
 
子曰わく、君子は義に喩り、小人は利に喩る。(里仁第四・仮名論語43頁)
孔子先生が言われました。
「君子は義に敏感であるが、小人は利に敏感である」
 
 
身を誠にするに道有り。善に明らかならざれば、身に誠ならず。
誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり。誠は勉めずして中り、思わずして得、従容として道に中るは聖人なり。之を誠にするは、善を択びて固く之を執る者なり。(中庸第二十章・仮名中庸48頁)
自分の身を誠にするにも道がある。善に明らかでなければ、自分の身は誠にならない。
誠は天の道である。これに学んで自分を誠にするのが、人の道である。本当に誠の人は、特に勉強しなくても誠の道にあたり、特に考えなくても誠の道を得、ゆったりとしていても誠の道にあたる。このような人は聖人である。聖人でない私たちが誠となるためには、善を選んで固くそれを守るのである。