微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

今年達成できたこと

今年、論語・大学・中庸の音読が
100回に到達した。
 
覚えるほど読み込んだ。
 
だが、読めば読むほど、
知れば知るほど、
孔子先生の教えが
深くて高くて遠くて広くて…
 
なんとなく次の章句にある
顔淵の気持ちがわかるような気がする。
 
 
顔淵、喟然として歎じて曰わく、之を仰げば弥高く、之を鑚れば弥堅し。之を瞻るに前に在り、忽焉として後に在り。夫子、循循然として善く人を誘う。我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす。罷めんと欲すれども能わず。既に吾が才を竭くせり。立つ所有りて卓爾たるが如し。之に従わんと欲すと雖も、由末きのみ。(子罕第九・仮名論語115頁)
顔淵が嘆息をついて言いました。
「仰げば仰ぐほど高く、切り込めば切り込むほど堅い。前にあるかと思って見ていると、いつのまにか後ろにある。ところが、先生は順序よく巧みに人を導かれる。書物をもって私の考え方を広くされ、礼をもって私の行いを引き締められる。やめようと思ってもやめられない。すでに私の才能の限りを尽くしたが、それでもなお先生は高々とそびえ立っているようだ。先生に従ってゆこうと思っても手立てが無い…」
 
 
だが同時に
次の章句も思い出される。
 
 
冉求曰わく、子の道を説ばざるに非ず、力足らざればなり。子曰わく、力足らざる者は中道にして廃す。今女(なんじ)は画れり。(雍也第六・仮名論語71頁)
冉求(冉有)が言いました。
「先生の教えがわからないのではないのです。ただ私が力不足なため、先生の教えを行うことができないのです」
これに対して孔子先生が言われました。
「力が足りないかどうかは、力の限り努力してみなければわからない。本当に力の足りない者は、途中で力尽きる。今のおまえは、はじめから自分の力を見限っているだけだ」
 
 
とにかく力の限り、
孔子先生の道を追求してゆこうと思う。
 
 
 
本年もお付き合い頂き、
誠に有難うございました。
 
皆様どうぞよいお年をお迎えください。