微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

安楽死について考えてみた

天命を追い求める者は
そう簡単に命を投げ出さない。
 
耐えがたい苦痛が来てからでも
よかったんじゃないか?
 
 
子、匡に畏す。曰わく、文王既に没したれども、文茲に在らずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者、斯の文に与るを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何にせん。(子罕第九・仮名論語112頁)
孔子先生が匡の町で恐ろしい目に遭われた時に言われました。
「文王はすでに亡くなられたが、文王の道(仁の道)はこの私が受け継いでいる。天が文王の道を滅ぼそうとするなら、私は文王の道の実現に携わることはできないはずだ。天が文王の道を滅ぼそうとしない限り、匡の町の人たちは私のことをどうにもできない」
 
 
司馬牛、憂えて曰わく、人は皆兄弟有り、我独り亡し。子夏曰わく、商之を聞く、死生命有り、富貴天に在り。君子は敬みて失うこと無く、人と与るに恭しくして礼有らば、四海の内、皆兄弟なり。君子何ぞ兄弟無きを患えんや。(顔淵第十二・仮名論語164頁)
司馬牛が悲しみ嘆いて言いました。
「みな兄弟がいるのに私にはいない…」
そんな司馬牛に子夏が言いました。
「私は『人の生死や富貴は全て天命』と聞いている。君子は、敬意を忘れることなく、謙虚に礼をもって人と交われば、世の中の人はみな兄弟になる。君子は、兄弟がいないことなど気にする必要無いのだ」