他に適当な言い方が無いので
ウチの子とか私の子とか所有格を使う。
だが、
子どもは私とは別の人間。
一人の人間として
しっかり尊敬したいのである。
子曰わく、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり。(学而第一・仮名論語10頁)
孔子先生は言われました。
「人に認められないことを心配するのではない。自分が人を認めていないのではないか?と心配するのだ」
孔子先生は言われました。
「人に認められないことを心配するのではない。自分が人を認めていないのではないか?と心配するのだ」
子路、君子を問う。子曰わく、己を修めて以て敬す。曰(い)わく、斯くの如きのみか。曰(のたま)わく、己を修めて以て人を安んず。曰(い)わく、斯くの如きのみか。曰(のたま)わく、己を修めて以て百姓を安んず。己を修めて以て百姓を安んずるは、堯・舜も其れ猶諸を病めり。(憲問第十四・仮名論語224頁)
子路が「君子とはどういう人物でしょうか?」と尋ねました。
孔子先生は、「自分の修養に励んで、人を敬することができる人物だ」と答えられました。
子路は更に、「それだけでしょうか?」と尋ねました。
孔子先生は、「自分の修養に励んで、人を安らかにすることができる人物だ」と答えられました。
子路はまた更に、「それだけでしょうか?」と尋ねました。
孔子先生は、「自分の修養に励み、広く天下の人々を安らかにすることができる人物だ。ただこれは、堯や舜といった聖天子でさえも、お悩みになったことだ」と答えられました。
子路が「君子とはどういう人物でしょうか?」と尋ねました。
孔子先生は、「自分の修養に励んで、人を敬することができる人物だ」と答えられました。
子路は更に、「それだけでしょうか?」と尋ねました。
孔子先生は、「自分の修養に励んで、人を安らかにすることができる人物だ」と答えられました。
子路はまた更に、「それだけでしょうか?」と尋ねました。
孔子先生は、「自分の修養に励み、広く天下の人々を安らかにすることができる人物だ。ただこれは、堯や舜といった聖天子でさえも、お悩みになったことだ」と答えられました。