微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

今さら初詣での出来事

元旦は妻と子を連れ、
私の実家に行く。
その後、一家総出で氏神様に初詣に行く。
これがここ数年の習わし。
 
神様の御前では、
私利私欲をお願いするのではなく、
ただただ感謝の思いを捧げるのみ。
心誠に厳かに。
 
自然と拝礼は深々としたものになる。
 
 
それを見た妻や母は私を茶化した。
 
たとえ茶化されても
深々とした拝礼を変ようとは思わない。
 
 
 
子曰わく、君に事(つか)うるに礼を尽くせば、人(ひと)(もっ)て諂(へつら)えりと為すなり。(八佾第三・仮名論語31頁)
孔子先生が言われました。
「君にお仕えするには礼を尽くすもの。なのに人はそれをへつらいとか言う」
 

子曰わく、麻冕(まべん)は礼なり。今や純(いと)なるは倹(けん)なり。吾(われ)は衆に従わん。下に拝するは礼なり。今(いま)上に拝するは泰(おご)れるなり。衆に違うと雖(いえど)も吾は下に従わん。(子罕第九・仮名論語111頁)
孔子先生が言われました。
「麻の冠をかぶるのが昔からの礼であるのに、今は絹の冠になっている。これは倹約であるから、私は世間一般に従おうと思う。しかし、君に対しては堂の下から拝礼するのが礼であるのに、今は堂に上って拝礼している。これは傲慢である。世間一般と違っても私は堂の下から拝礼しようと思う」

 
祭ること在(いま)すが如くし、神を祭ること神在すが如くす。子曰わく、吾(われ)祭りに与(あずか)らざれば、祭らざるが如(ごと)し。(八佾第三・仮名論語28頁)
孔子先生は、ご先祖様をお祭りするときは、ご先祖様が目の前におられるかのように、神様をお祭りするときは、神様が目の前におられるかのように、心を込めてお祭りされました。そうしてよく言われました。「私がお祭りに携わらないと、お祭りが無かったような気がしてしまう」