微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

「誇り」はペラペラしゃべるものではない

 1991年10月31日、湾岸戦争後の呉港でのこと。イラクペルシャ湾に敷設した機雷の掃海作戦を無事完了し、帰国した海上自衛隊員を前に、落合畯群司令は最後の訓示を行った。以下、一部を紹介する。
 
 
 「隊員諸君は、この半年間、ペルシャ湾において、劣悪な環境のもと、機雷処分という危険な作業を黙々と実施し、わが国の船舶の安全航行という任務を完遂し、国際的に貢献した。実に見事であり、大いに誇りとするところである。
 だが、この『誇り』はペラペラしゃべるものではない。自分を磨く糧として、心の中にしまっておき、苦しいとき、自分を奮い立たせる道具として使ってほしい」
 

(以上10月29日日本経済新聞夕刊「あすへの話題」より一部抜粋)
 
 
顔淵・季路侍す。子曰わく、盍(なん)ぞ各々爾(なんじ)の志(こころざし)を言わざる。子路曰わく、願わくは車馬衣裘(しゃばいきゅう)、朋友と共にし、之を敝(やぶ)りても憾(うら)むこと無からん。顔淵曰わく、善に伐(ほこ)ること無く、労を施すこと無からん。子路曰わく、願わくは子の志を聞かん。子曰わく、老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐(なつ)けん。(公冶長第五・仮名論語62頁)
弟子の顔淵と子路がおそばに控えていた時、
孔子先生が言われました。
「どうかね、お前たちの志しを話し合ってみないかね?」
子路が言いました。
「馬や車、衣服などを友人と一緒に使って、たとえ破かれてしまっても、残念に思わないような人でありたいと思います」
顔淵が言いました。
善い行いをしても誇ることなく、骨の折れることを押しつけないような人でありたいと思います」
子路が言いました。
「先生の理想もお聞かせ願えますか?」
孔子先生が答えられました。
「お年寄りの人たちには心安らかに、友だちとは信をもって交わり、若い人たちには慕われる。そういう人物になりたいね」
 
 
子曰わく、孟之反(もうしはん)、伐(ほこ)らず。奔(はし)りて殿(でん)す。将(まさ)に門に入らんとして、其(そ)の馬に策(むちう)ちて曰わく、敢(あ)えて後(おく)るるに非ざるなり。馬進まざるなり。(雍也第六・仮名論語72頁)
孔子先生が言われました。
「孟之反(魯国の大夫)は、功績を誇らない人だ。戦から退却する時、殿(しんがり)を務めて敵の追撃からよく味方を守った。そして、ようやく自国の城門までたどり着いた時、自分の乗っていた馬にムチを打ってこんなこと言ったのだよ。『私はあえて殿(しんがり)を務めたのではない。馬が進まなかっただけなのだ』」