という記事が10月8日の日経朝刊文化欄にありました。
一部を引用します。
『従来の儒教的観念では金もうけは卑しいことと見られてきた。
しかし、渋沢の解釈では、孔子は「まっとうな生き方によって得られるならば、
どんな仕事についていても金もうけをせよ」と言っていると断言した。
渋沢はまた「論語講義」で、利は「自己のみに偏せず、公利を害せぬやうに心掛け、
道理に照らし義に従うて事を行へば他より怨(うら)まるるはずなし」
と道徳に基づいた経済活動を説いている。』
『従来の儒教的観念では金もうけは卑しいことと見られてきた。
しかし、渋沢の解釈では、孔子は「まっとうな生き方によって得られるならば、
どんな仕事についていても金もうけをせよ」と言っていると断言した。
渋沢はまた「論語講義」で、利は「自己のみに偏せず、公利を害せぬやうに心掛け、
道理に照らし義に従うて事を行へば他より怨(うら)まるるはずなし」
と道徳に基づいた経済活動を説いている。』
これを機会に、論語の中の利得や富貴に関する章句をまとめたいと思います。
子曰わく、(中略)邦(くに)道有るに、貧しくして且つ賤(いや)しきは恥なり。
邦道無きに、富み且つ貴きは恥なり。
(泰伯第八・仮名論語105頁)
孔子先生が言われました。
「邦に道が行われているのに、貧しくて地位が低いのは恥だよ。邦に道が行われていないのに富みや地位を得ているのは恥だよ。」
(泰伯第八・仮名論語105頁)
孔子先生が言われました。
「邦に道が行われているのに、貧しくて地位が低いのは恥だよ。邦に道が行われていないのに富みや地位を得ているのは恥だよ。」
富みを得ておごりたかぶることがないようにするのは容易なことだよ。」
子路、成人を問う。子曰わく、(中略)利を見ては義を思い、(中略)亦以て成人と為すべし。
(憲問第十四・仮名論語207頁)
弟子の子路が成人の資格について尋ねました。
孔子先生は答えられました。
「利益を得るに当たっては道義にかなっているか考える。これができれば成人と言えるよ。」
(憲問第十四・仮名論語207頁)
弟子の子路が成人の資格について尋ねました。
孔子先生は答えられました。
「利益を得るに当たっては道義にかなっているか考える。これができれば成人と言えるよ。」
「従来の儒教的観念では金もうけは卑しいことと見られてきた」とあるのは、
江戸時代に幕府が商人を士農工商の最下位に置いたため、と考えます。
それに論語の学者の中に金儲けの才能がある人などいなかったでしょう。
金儲けの才能があれば普通は論語の研究などしようと思わないでしょうし。
このようなことで、「金儲けは卑しい」とされたのだと考えます。
江戸時代に幕府が商人を士農工商の最下位に置いたため、と考えます。
それに論語の学者の中に金儲けの才能がある人などいなかったでしょう。
金儲けの才能があれば普通は論語の研究などしようと思わないでしょうし。
このようなことで、「金儲けは卑しい」とされたのだと考えます。
論語の素直な解釈とその実践をされた先駆者であり第一人者なのです。