微庵の論語メモ

現代語訳は可能な限り原文に忠実に、かつ分かり易くを心がけております。

忠孝は服従でない

忠孝は決して服従ではない。

このことは、次の章句から明らかである。


曽子曰わく、夫の慈愛恭敬、親を安んじ名を揚ぐるがごときは、則ち命を聞けり。敢て問う、子父の令に従うを、考と言うべきか。子曰わく、是何の言ぞや、。是何の言ぞや。昔者、天子に争臣七人有れば、無道と雖も天下を失わず。諸侯に争臣五人有れば、無道と雖も其の国を失わず。大夫に争臣三人有れば、無道と雖も其の家を失わず。士に争友有れば、則ち身令名を離れず。父に争子有れば、則ち身不義に陥らず。故に不義に当れば、則ち子以て父と争わざるべからず。臣以て君と争わざるべからず。故に不義に当れば、則ち之と争う。父の令に従うを又焉んぞ考と為すことを得んや。(孝経・諌諍章第十五・仮名孝経32頁)
曽先生が言いました。
「これまで先生から慈愛や恭敬、親に安心してもらうこと、名を揚げることなどを教えて頂きましたが、敢えて質問致します。子は父の命令に従う、これを考と言うべきでしょうか?」
孔子先生が言われました。
「それは何の言葉だ?それは何の言葉だ?昔、天子に過ちを諫めてくれる臣下(争臣)が七人いれば、天子が非道であっても天下を失うことはなかった。諸侯に争臣五人いれば、その諸侯が非道であっても国を失うことはなかった。大夫に争臣三人いれば、その大夫が非道であっても家を失うことはなかった。士に過ちを諫めてくれる友(争友)がいれば、名声を失うことはなかった。父に過ちを諫めてくれる子(争子)がいれば、道義に外れることはなかった。ゆえに、道義に外れるときは、子は父と争わなければならない。臣下は主君と争わなければならない。ゆえに、道義に外れれば、子は父と、臣下は主君と争うのである。父の命令に従うことをどうして考とすることができるだろうか?」