教という漢字には孝がある。
漢字が作られた大昔、
教えると言えば孝だった。
孝は人間以外の動物は
行えないもの。
孝が人間を他の動物と区別し、
人間を人間らしくすると
考えられたからだろう。
日本では70年ほど前に
教育勅語が廃止され、
修身の授業が無くなり、
学校が孝を教えることは
無くなった。
家庭でも核家族化が進み、
仏壇も無くなり、
家庭で孝を教えることは
無くなった。
つまり、
孝を考える機会が無いまま
オトナになった人が増えた。
動物的なオトナが増えた
ということになる。
そのために、
動物的でおぞましい犯行が
増えているのではないだろうか?
子曰わく、父母在せば、遠く遊ばず。遊ぶこと必ず方あり。(里仁第四・仮名論語44頁)
孔子先生が言われました。
「父母の存命中は、遠くへ旅に出ないことだ。やむを得ず遠くへ旅するときは、父母に余計な心配をかけないよう、心がけることだ」
子曰わく、父母の年は、知らざる可からざるなり。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼る。(里仁第四・仮名論語45頁)
孔子先生が言われました。
「父母の年齢は、忘れてはならない。父母の長生きを喜ぶことができるし、先の短いことを心配することができるから」
孔子先生が言われました。
「父母の年齢は、忘れてはならない。父母の長生きを喜ぶことができるし、先の短いことを心配することができるから」